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【前編】大小23基ものパラボラアンテナが咲き乱れる"パラボラの里"に社会科見学に行ってきた

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山間に咲き誇る、巨大なパラボラアンテナ群の正体

そこは山口市の中心部からクルマで15分ほど、仁保(にほ)という山間の里。町中を抜け、山並みが濃くなると、山向こうに白いアンテナが見え隠れし始める。遠目には白く小さなキノコが生えているようだが、クルマが近づくにつれ、それはみるみる巨大になる。大小さまざまなパラボラが晴れ上がった空を仰ぐ様は、まるで巨人たちが忘れていった傘のよう。非日常感たっぷりの光景にTIME & SPACE取材班も思わずテンションが上がる。

ここ、「KDDI山口通信衛星所」には、東京ドーム3.5個分に相当する16万平方mもの広大な敷地に、大小23基ものパラボラアンテナが設置されている。小さなもので直径1m以上、大きなものだと30mを超す巨大なものまで、山並みを背景に威風堂々と建ち並ぶ。その光景は壮観のひとことに尽きる。

さて、紛争地からの国際テレビ中継や、海外で見られるNHKの国際放送「NHKワールド」や、飛行機の機内インターネットサービス、遭難した船から送られる救助信号、三浦雄一郎さんのエベレスト登山、東日本大震災の被災地に出動した車載型基地局などなど……。これらに共通するものがあるのだが、それが何か分かるだろうか。

答えは衛星通信だ。地上あるいは飛行機や船舶に設置されたアンテナと、赤道上空3万6000kmの静止衛星とが通信し、映像や音声、さまざまなデータをつなぐ。その衛星通信を支える世界最大級にして国内随一の施設が、山口県の山間ののどかな里の中にある。それが「KDDI山口衛星通信所」だ。

KDDIは、母体企業のひとつである国際電信電話(KDD)の頃から衛星通信を手掛けてきた。この「KDDI山口衛星通信所」が開設されたのは1969年(当時は「KDD山口衛星通信所」)。同年に行われた、英国チャールズ王子が皇太子に叙任された立太子式や、1972年のミュンヘン・オリンピック国際テレビ中継など、世界と日本を通信でつなぐ重要な役割を担ってきた。


「KDDI山口衛星通信所」の遠景写真。巨大なパラボラアンテナが居並ぶ光景は壮観だ(写真提供:KDDI)

TIME & SPACE編集部は、同衛星通信所のパラボラアンテナにまつわるエピソードや、衛星通信の舞台裏を取材するために、一路山口へ。当日は、施設の責任者・牧尾雅明山口技術保守センター長と、施設の広報担当・盛田昌樹マネージャーが案内してくれた。

KDDI山口衛星通信所近くにある貯水池の水面に映る「逆さパラボラ」の姿。のどかな風景の中、突如出現する巨大な建造物であるパラボラアンテナの姿は非常にインパクトがある

大きさは長寿の証。アンテナの巨大さのヒミツ

衛星通信所周辺は、ここに重要な通信施設があるとはとても思えない、のどかさと静けさに包まれている。道を歩くと田んぼが目につき、山の稜線以外に空を遮るものはほとんど見当たらない。


KDDI山口衛星通信所が位置する仁保地区は「パラボラの郷(さと)」と呼ばれている。同所最寄りのバス停の名は「KDDI前」。地区の郵便局ではパラボラアンテナを描いた切手(左)が販売され、近隣のマンホール(中)にはパラボラアンテナの絵があしらわれ、同所からほど近い「道の駅」ではパッケージにパラボラアンテナが描かれた地域の土産物(右)が売られている

「KDDI山口衛星通信所」のプレートが掛かる門の中に足を踏み入れると、ひときわ大きなパラボラアンテナが目に飛び込んでくる。上部に「KDDI」と「NAO」と2つのロゴが記されたアンテナと、その背後に見える「KDDI」のロゴを冠したアンテナだ。

衛星通信所の来場者を出迎えるようにそびえる2つの巨大アンテナ。その迫力にはただ圧倒される

「NAO」のロゴが記されたアンテナは直径32m。1979年に建造され、2000年まで現役の衛星通信アンテナとして利用されていたが、2001年9月に国立天文台に寄贈され、地元の山口大学と共同で、中国地方唯一の「電波望遠鏡」として利用されている。

「電波望遠鏡」とは、星が発する電波をキャッチする観測機器のこと。この32mの巨大アンテナは、星が誕生する際に発する微弱な電波を受信し、星が生まれるプロセスの解明のために使われている。譲渡の際、国立天文台の略称「NAO」のロゴがアンテナに描かれた。その背後に見えるもうひとつの巨大なアンテナは直径34m。1980年に建造された。同所最大にして、「アンテナの寿命は20~30年が目安」(牧尾センター長)という中でも現役最長老のアンテナだ。

アンテナの大きさと、アンテナが作られた時期は密接な関係がある。古いものほど大きくなり、新しいものほど小さくなる傾向があるのだという。

「昔は製造やロケットの打ち上げ技術の制約で、小さな人工衛星しか飛ばせませんでした。そのため衛星から送られてくる電波が微弱で、それをキャッチするには地上のアンテナを大きくする必要があったんです。近年は技術が格段に進歩して大きな衛星を飛ばせるようになり、地上に届く電波もずいぶん強くなりました。そのため、もはや巨大なアンテナの必要性もなくなりました。今では直径18mのアンテナがあれば、1980年当時の34mのアンテナと同じ受信性能を得られるんですよ」(牧尾センター長)

約半分の大きさで、同等の性能を出せるようになった技術の進歩にこそ感嘆すべきなのだろうが、この先、これだけ巨大なアンテナが作られることはもうないかと思うと、ちょっぴり寂しい気がしないでもない。ちなみに、直径34mは野球の内野のダイヤモンドとほぼ同じ大きさだ。

所内のアンテナの中でも、30mを超える2つのアンテナの巨大さが際立っている

パラボラはなぜ白くて丸い?

写真を見ていて気づいた人もいるかもしれないが、所内にあるアンテナは、一部の例外を除いてほとんどが白くておわん型をしている。その理由を、牧尾センター長が解説してくれた。

「色が白いのは、熱を反射しやすくするためです。アンテナはアルミのパネルを複数つなぎ合わせて作られていて、熱で膨張するとパネルが歪んでしまいます。白くして熱を反射させても、膨張を完全に抑えることはできませんが、それを見越して、パネルとパネルのあいだには隙間を開けています」

遠目には1枚に見えるアンテナが複数のパネルでできていて、しかも隙間が空いていたとは……。34mの巨大アンテナは430枚ものパネルでできていて、総重量は400トンにもなるのだとか。作るのは想像するだけで大仕事。地上のアンテナを小さくするのは、建設の手間やコストを抑える合理的な判断なのだ。

ちなみに、服でもなんでも白は汚れが目立つもの。それが通信の妨げになることはないのだろうか。

「汚れても通信への影響はありません。ただし、美観を保つため、4~5年に一度、高圧洗浄で掃除を行います」(牧尾センター長)

当然のことながら、大きいものほど掃除も大変なのだそうだ。

よく見ると、ところどころに線が入っているのがパネルの継ぎ目だ

では、アンテナがおわん型をしているのはなぜか――。

「アンテナの形状は、衛星からの電波を集めて受信しやすくするためと、衛星に送る電波を増幅して強度を上げるためです。電波の受信の原理は、虫メガネの凸レンズで光を一点に集めるのと似ています」(牧尾センター長)とのこと。

アンテナの白い面を「主反射鏡」といい、アンテナ中央部の前面に取り付けられた小さな山のような形状をした鏡を「副反射鏡」という。「副反射鏡」は複数の支柱によって支えられている。電波の受信時には、衛星からの電波を「主反射鏡」で受け止め、「副反射鏡」に向けて反射させる。「副反射鏡」はそれを「主反射鏡」中央の開口部に向けてもう一度反射させ、開口部の中にある装置が電波を受信しデータに変換する。

地上から電波を送るときは、この向きが反対になる。データを受信すると電波が作られ、開口部から「副反射鏡」に送出される。「副反射鏡」は電波を「主反射鏡」に向けて反射し、「主反射鏡」から衛星に向かって電波が送られる。

そもそもパラボラとは、「放物線」を意味する。平面の放物線を回転させると3次元ではおわん型となる。なお、「主反射鏡」と「副反射鏡」をもつパラボラアンテナのことを「カセグレンアンテナ」という。

「主反射鏡」の前面に取り付けられた、山の形をした「副反射鏡」。「副反射鏡」を支える支柱の先端に飛び出ているのは避雷針。電波の送受信には関係がない

さらに、こんなパラボラアンテナ豆知識も教えてくれた。

「副反射鏡を支える支柱は電波を乱す原因になりかねず、副反射鏡は宙に浮いているのが理想です。もちろんそんなことができるわけもなく、メーカー各社の独自技術で、支柱に電波が当たっても乱反射しないようになっています」(牧尾センター長)

たかが支柱、されど支柱。そこにも知恵と技術が注がれているのだ。

山口が「パラボラの郷(さと)」になったワケ

山口衛星通信所のアンテナは、大きく西と東の2つの方角を向いている。そのことは、山口に国内随一の規模の衛星通信施設がある理由を静かに物語る。日本のほかのどこでもなく、山口でなければならないワケがある。それを紹介する前に、衛星通信の仕組みと歴史を簡単に押さえておきたい。


120°間隔で配備された3基の静止衛星で地球全体をカバーできる

そもそも衛星通信とは、人工衛星を使って電話やインターネット、TV中継などの通信を行うことだ。そのための通信衛星は、太平洋、インド洋、大西洋の赤道上空3万6000kmの静止軌道上にある。120°間隔に配置された衛星1基が地表の3分の1をカバーし、3基で地球全体をカバーできるようになっている(実際には、予備衛星を含め、多数の衛星が配備されている)。

日本における衛星通信は、1963年に始まる。東京オリンピックを翌年に控え、アメリカの打ち上げた「リレー1号衛星」を使った日米テレビ中継実験が行われ、実験中にアメリカのケネディ大統領暗殺のニュースが衛星中継で報じられた。

このとき、日本側で衛星から電波を受信したのは、茨城県十王町(現・日立市)に開設されたKDDの「茨城宇宙通信実験所」(後の「KDDI茨城衛星通信所」)だ。翌1964年には、世界中をカバーする「インテルサット」という通信衛星の組織が設立され、1965年に大西洋上で、1967年には太平洋上で商用サービスが始まり、「茨城衛星通信所」は太平洋上の衛星を介してアメリカとの国際通信を中継する役割を担った。

さらにその2年後の1969年には、アジアとヨーロッパを結ぶ通信手段としてインド洋上に「インテルサット」の衛星が打ち上げられ、それに合わせて「KDD山口衛星通信所」(当時)が設立された。以来、40年近くにわたり、「茨城衛星通信所」は日本の衛星通信の"東の玄関口"として、「山口衛星通信所」は"西の玄関口"として、それぞれ太平洋上とインド洋上の衛星との通信を担ってきたが、2007年にKDDIの経営合理化の一環で、衛星通信施設は山口衛星通信所に統合されることになった。

歴史を感じさせる「山口衛星通信所」の門の佇まい。数々のアンテナとここで仕事に携わる人々が、この地で宇宙を見つめ続けてきた

では、インド洋上の衛星と通信する「西の玄関口」は、なぜ山口でなければならなかったのか――。

それには大きく2つの理由がある。

1つ目の理由は、インド洋上の衛星と通信できる地域が日本国内では限られていることだ。山口は送受信エリアのほぼ東の端にあり、それより東方では地平線の陰に隠れて衛星との通信ができない。

2つ目は、ここが地上のマイクロ回線との相互干渉が少なく、さらに地震や台風などの自然災害も少ないことが挙げられる。通信というのは、24時間365日、止まることなくサービスを提供することが求められる。自然災害によるサービス断を避けるため、施設の立地はきわめて重要な意味を持つ。

こうした理由から、山口は衛星通信の適地とされている。市内にはスカパーや自治体衛星通信機構のアンテナもあり、山口市中心部から同所へ向かう道沿いには、スカパーのアンテナを目にすることができた。

なお、山口からはインド洋上だけでなく、太平洋上の衛星も見通すことができる。そのため、2007年の統合の際、「茨城衛星通信所」が担っていた役割を、「山口衛星通信所」が引き継ぐことになった。以来この地は、国内随一の「宇宙との玄関口」になった。


右の方を向いているのが、太平洋上の衛星と通信するアンテナ。左の方を向いているアンテナは、インド洋上の衛星と通信する


太平洋上の衛星と通信するアンテナは空を高く仰ぎ見ているが、インド洋上の衛星と通信するアンテナは、ほぼ地平線すれすれの角度を向いている。この地がインド洋上の衛星を見通せる東の端であることを物語る

次回では、まだまだ語り尽くせないパラボラアンテナの驚きのヒミツや、衛星通信が現代において果たしている役割を紹介します!

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